インタビュー企画概要

日本を代表するグローバルブランドである「無印良品」。同ブランドを展開する株式会社良品計画(以下、良品計画)は、2021年8月現在、世界32の国・地域で店舗を展開し[1]、日本国内でも多様な国籍の方々が働いています。

このたび、LIGHTBOATでは、縁あって「日本で働き、日本で楽しむ」を体現されている、良品計画の外国人社員の方にお話を伺う機会をいただきました。

そこには、形式から入るのではなく、本人とのコミュニケーションと試行錯誤を繰り返しながら、いわば積み上げ式で、等身大かつ実効性のある環境構築を進めてきた同社の姿勢と、それがあってこその現状の成果、そして今後の課題を見て取ることができました。

独自のこだわりと思いを持って外国人材を雇用している、あるいはそれを検討している多くの日本企業にとって、大いに参考になるでしょう。

また、それぞれの強みを生かしてキャリアを築き、無印良品を本国である日本から支える皆さんの軌跡や体験談は、日本で働きたいと考えている外国人の方にとって、貴重なサンプルになるに違いありません。

良品計画の外国人従業員インタビュー企画・第二弾、ぜひご一読ください。

ゲスト:徐さんのプロフィール

名前徐 義才(ソ ヴィジェ)
出身韓国
卒業大学(卒業年)京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)(2020年)
株式会社良品計画 入社年2021年
在日年数8年9カ月
勤務店舗Café&Meal MUJI 京都山科

はじめに

徐さんは、韓国で高校を卒業後、アメリカ合衆国やモザンビーク共和国など海外での生活を経て、2013年に来日。日本語学校を卒業後、大学に進学しました。

大学在学中に日本人と結婚し、程なく子育てがスタート。2021年にCafé&Meal MUJI 京都山科に就職し、現在アルバイトとしてホールで働いています。

学生時代から接客業に携わってきた徐さんに、日本語でのコミュニケーションの苦労や、心掛けていること、また日本での生活について、お話を伺いました。

国や文化よりも、日本人の美点に惹かれて

―徐さんは、どんなきっかけで日本に来られたのでしょうか?

高校を卒業して成人してから、少しの間アメリカに住んでいました。そこで日本人の知り合いができたのをきっかけに、日本に興味を持つようになりました。

具体的なきっかけは、現地で参加していた募金活動でした。2011年3月11日、その日も私は街頭に立っていたんです。街行く人から「あなたは日本人でしょう。日本に帰らないの?」と言われて、東日本大震災を知りました。

私にはその頃すでに日本人の友人がいたので、彼らが家族と連絡が取れなかったり、実家が無くなったという話を聞いたりして、ショックを受けました。自分が日本人に見えるという親近感もあって、日本人にとても共感を抱くようになったんです。

それからは、それまで以上に日本人の友人と交流するようになり、日本人の良いところをたくさん感じるようになりました。

日本人には、自分の言葉を守る人が多いと思います。公私問わず、またそれが法律で定められているような規則でなくても、約束を果たしてくれて、とても責任感があります。

また、日本人は聞く能力がとても高いと思います。私が悲しいときに、それを隠そうと反対のことを言っても、日本人の友人はくみ取ってくれました。自分の気持ちを言わない習慣はあまり良くないですが、私はそうした日本人の気遣いに救われました。

こうした日本人の友人の美点に感化され、日本に行ってみたいと思うようになりました。
アメリカで出会った友人たちは今でも仲良くしていて、大切な存在です。夫にも、アメリカで出会いました。

―実際に来日されてからの生活はどうでしたか?

来日する前に平仮名だけは覚えていたのですが、日本語の習得には苦労しました。

日本語学校に通う資金をためるため、まずは名古屋の工場でアルバイトを始めました。工場には、中国、フィリピン、ベトナムなどいろいろな国の人が働いていて、日本語が話せない自分の状況にすごく共感してくれ、彼らが私の最初の日本語の先生になりました。

仕事で使う会話を中心に覚えていき、最初は英語8割、日本語2割で話していましたが、だんだん日本語を使う比重が増えていきました。

日本に来て面白いと思ったことはたくさんあるのですが、ぱっと思いつくのは「味」ですね。日本の食事や飲み物には、はっきりした甘さや辛さとは違うおいしさがあります。私の感覚では、「にぶい」という形容が近いと思っています(笑)。

韓国のお茶は甘いので、初めて日本のお茶を飲んだときは驚きました。日本のお茶にもいろいろありますが、苦みや渋みまではいかず、甘さとも違う「にぶみ」があると感じます。こういう味の使い方が面白いなと思っています。

―在留資格はどうしていたのでしょうか?

最初はワーキング・ホリデー[2]でした。その後、日本語学校に通うために留学の在留資格を取得しました。工場の同僚たちから日本語を学んだおかげで、日本語学校では中級クラスに入ることができましたよ。

日本語学校の同級生は、卒業後はみんな日本の大学に進学しました。それぞれ国籍も夢も違いましたが、慣れない日本生活を支え合いながら過ごしたことは財産になりました。日本語学校での経験は、日本語の習得よりも、日本で共に生きる友人を得られたことに大きな意味があったかもしれません。

日本語学校在学中もアルバイトをしましたが、留学の在留資格になると週28時間しか仕事ができないので[3]、学費と生活費をやりくりするのは大変でした。

家族に仕送りを相談したこともあります。韓国と日本は貨幣価値が同じくらいなので、私は家族を頼りやすかったのですが、ベトナムなどの貨幣価値の差が大きい国から来た友人は、特に苦労していました。

その後、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に進学してからは、できる限り奨学金の受給を申請しました。私が実際に受給したのは、自分の大学が支給している奨学金でした。

留学生向けの奨学金の多くは、返済義務がありませんが、その分支給額が少ない傾向があります。月数万円程度という感じ。種類も少ないです。私は芸術大学に通っていたので、学費は1年で172万円かかりました(当時)。

大学在学時は京都のラーメン屋で働いていて、英語で観光客の呼び込みを行っていたことが評価につながり、時給を上げてもらえました。週28時間の就労制限がありますので、時給アップはとても助かりました。

―芸術大学ではどんなことを学ばれたのでしょうか?

舞台芸術学科の演技・演出コースに進学し、特に演出について学びました。入試はAO入試で、演技や演出の実技試験を受けて合格しました。

美術分野と違って、言語のハードルが高い演劇を専攻する外国人留学生は少なく、実際私の学科では自分だけでした。入学前に日本語学校を上級クラスで卒業し、日常会話には困らなくなっていましたが、演劇の専門的な用語にはとても苦労しました。

シェイクスピアのような古典演劇になると、日本語も昔の表現を使ったりしますし、日本人だからできるような表現も多く、毎日必死で食らい付いていました。

でも、ある古代ギリシャの悲劇を上演したとき、重要なことに気付いたんです。演劇は集団制作なので、私ができないことを誰かがやる。誰かができないことを私がやる。そうやって助け合うことができたんです。それに、古代ギリシャの劇を日本人と韓国人が演じるわけなので、そもそも言葉は一番重要な要素というわけではないということにも気が付きました。それで、自分が外国人だからできないと思い込んでいた、自分自身で作っていた制限から、少し自由になれました。最終日には、日本がカタコトでももう恥ずかしくないと、勝手に思っていました。発音なんて気にせずに、自分らしく演じて良かったんだと。これは私の日本での生活やキャリアにおいて、重要な気付きでした。

大学時代も「留学」の在留資格でしたが、3年生の秋にアメリカで出会った日本人の彼と結婚しました。そのタイミングで、在留資格は「日本人の配偶者等」[4]に変更になりました。

在留資格を切り替えてからの実感としては、仕事の面接が通りやすくなったと思います。「日本人の配偶者等」の在留資格の場合、日本に長く住むことが想定されるので、雇用側も安心感を持つのだと思います。

日本語ネイティブにはなるのではなく、自分らしい丁寧な接客を

―Café&Meal MUJI 京都山科に応募されたきっかけを教えてください。

子どもが生まれて少し落ち着いてから、アルバイトを探し始めました。飲食店での接客経験があるので、それを生かせる環境がいいなと思っていたところ、Café&Meal MUJI 京都山科の募集を見つけたんです。

韓国にいるときから、無印良品は私の好きなブランドでした。働いてみたいという憧れがありましたし、さらにカフェということで、私が働きたいお店はここだ!と思いました。急いで履歴書を書いたのを覚えています。

外国人の場合は日本語能力試験のN2以上が応募条件でしたが、私はすでにN1を持っていたので、無事条件をクリアし、面接を受けられました。

―まさに徐さんが探していた職場だったのですね。業務はどうやって覚えましたか?
入社してちょうど1年とのことですが、仕事には慣れたでしょうか。

私は、分からないことはすぐ人に聞いて覚えるタイプなので、周りのスタッフにその場で質問しながら、仕事を覚えていきました。

学生時代の接客業経験はアドバンテージになっていると思いますが、やはり苦労することは多いです。日本に来て今年で9年目になりますが、それでもやはり、お客様から何と言われたかすぐに分からなかったり、とっさに難しい表現が言えなかったりします。

私が長年日本に住んで思うのは、「ネイティブにはなれない」ということです。でもこれは、悲観しているわけではありません。「ネイティブにはなれないので、私なりの丁寧な接客を磨いていこう」と気持ちを切り替え、努力を続けています。

日本語の敬語は複雑なので、基本に立ち返り、「です・ます」を使ってしっかり話すことを心掛けています。また、難しい言葉は自分なりに言いやすい言葉に言い換えるよう、自分の中で仕組みを作っています。

お店のアナウンスや電話で対応が難しいときは、変に遠慮せず、同僚にお願いしています。同僚に申し訳ないと思う場面もありますが、お店として、お客様に一番良い対応ができるようにすることが大切だと思っています。

―Café&Meal MUJI 京都山科のお客様は、日本人が多いのでしょうか?

京都山科は、コロナ前から外国人観光客が少なく、お客様はほとんど日本人です。実は私がこのお店を選んだもう一つの理由は、日本人のお客様が多いからなんです。

学生時代は外国人観光客の対応を任されることが多かったので、今度はより日本語でコミュニケーションする環境で働きたいと思っていました。磨きたいものがあるのであれば、毎日チャレンジできる環境で努力することが大切です。

思い返すと、大学時代は演劇で使う日本語の難しさに、週に何度も泣いていました。でも、卒業までくじけず課題に向き合い続けました。試行錯誤を繰り返しながら、より良い姿を目指していく精神は、あの頃培ったのかもしれません。

―英語や韓国語のアドバンテージを生かすのではなく、日本語をより磨ける環境を選ばれたのですね。徐さんは標準語でお話されていますが、店舗では京都弁でも話されますか?

学生時代から京都でアルバイトをしていますが、京都弁は話せないんです。日本の方は、しばらく住んだ土地の方言がうつるといいますよね。

周りの外国人を見ていると、聞く能力の高い人は発音をコピーするのもうまく、方言を話すようになる気がします。私はどちらかというと、自分を中心に置いて考える性格なので、他の人の発音の影響をあまり受けないのだと思います。

でも、標準語での接客は硬く聞こえてしまいがちです。お店で食を提供するということは、食事そのものだけではなく、そこに気持ちを乗せることが大事なので、方言はお客様に親近感を感じてもらえる良い表現だと思います。

私は方言を使いこなせないので、笑顔で接客することでお客様に楽しんで食事をしてもらう環境作りを心掛けています。

Café&Meal MUJI 京都山科 店内の様子[5]

家族を理解するために、日本のことを理解したい

―ご自身の将来像として、思い描いている姿はありますか。また、日本の社会にこうなってほしいという思いはありますか。

私は韓国人なので、韓国語で話すのが一番楽ですし、日本に長く住んでいるからといって、日本人らしくなりたいと思っているわけではありません。

でも、私の夫と子どもは日本人です。自分が世界で一番愛している家族が日本人なので、彼らを理解するためにも、日本人や日本の社会を理解したいと思うんです。

私は日本が好きですし、子どもも将来日本で暮らしていく可能性が高いので、日本の社会により良くなっていってほしいと願っています。

そう考えたとき、日本人があまり人と議論したがらない点は気になります。韓国では、社会的な問題が起きたとき、よくデモをして意見を表明します。互いの意見が違っても、友人と政治について議論します。

議論をした先に、変化があると思います。相手を尊重し気遣うのは日本人の美点ですが、議論をしなければ変化が生まれず、ネガティブなものが社会に残っていくと思うんです。

日本の社会は、個性より均一さを求める傾向が強いと感じています。私自身、外国人だからという理由で、嫌な思いをすることもあります。

でも私は、今のこの私の考え方や願いを持った私のままでいたいと思っています。ありのままの私でいられる10年後に、私を連れて行ってあげたい。日本人か外国人かではなく、人間一人一人が自分らしくいられる社会であってほしいです。

―ご家族のお話を聞かせてください。お子さんには、韓国語を教えていますか?

子どもは基本的に日本語を使っていますが、私と2人でいるときは、韓国語で会話をしています。

家庭によって教育方針はそれぞれ違いますし、私もとても悩みました。ただ、子どもは愛情という感情や他者との関係性というものを、まずは一番身近な大人である母親から学ぶのではないかと思います。韓国人の母親という私と関係を築くためには、やはり母国語の方がいいです。

これからどうなるかはまだ分かりませんが、将来、子どもには自分の感情を表現できる程度の韓国語はできるようになってもらいたいし、私の好きな韓国の映画や本を分かるようになれば、お母さんという人物をより理解してもらえると思うんです。

まずは言語よりも大切なコミュニケーションの基盤を、私との関係性で作っていってほしいと考えています。

―最後に、LIGHTBOATに期待することがあればお聞かせください。

ビジネス日本語の教材をぜひ作ってほしいです。

日本語学校在学中、ビジネスで使う日本語の授業を受けたのですが、事務職向けのものばかりでした。今、実際に私の仕事で役に立っているなと思うのは、学生時代の接客アルバイト経験です。

仕事の分野によって、いろいろなビジネス日本語があると思うので、それをカバーする教材があったらいいなと思います。

―今日は、どうもありがとうございました。

おわりに

日本語に対して飽くなき追求心を持ちつつも、ネイティブレベルを目指すのではなく自分なりのあり方を常に模索されている徐さんのお話には、多くの学びがありました。

日本で暮らす外国人の方に対して、黙して迎合を期待するのではなく、お互いに歩み寄り、お互いを尊重しながらより良い社会を築いていく、そのような姿勢が、日本人に求められています。

徐さんが作った「自分が話しやすい丁寧な日本語のルール」や、お子様と2人のときは母国語で会話するという工夫は、外国人である徐さんが彼女なりに作り上げた、「非ネイティブとネイティブの中和点」といえます。

ネイティブである私たち日本人では、なかなか着想できないことかもしれません。しかし、国内の在留外国人が300万人に迫り[6]、今後も多くの外国人の方を迎え入れていく日本において、日本人の側が変わらなくてよいわけはありません。

徐さんの言葉をお借りすれば、変化に向けて議論すべきときが(もうずっと前から)来ています。

コミュニケーションには歩み寄りが欠かせません。外国人の方とのコミュニケーションというとまず英語を想起する方が多いかもしれませんが、最近では「やさしい日本語」が注目されています。

「やさしい日本語」とは、外国人の方に配慮したシンプルで分かりやすい日本語のことです。「やさしい日本語」では、言語をあくまでコミュニケーションのツールと捉え、複雑な文法や用語よりも、いかに適切に意思を伝えられるかということに重きが置かれています。

ある外国人向けの調査によれば、日本人とのコミュニケーションにおいて英語を希望する回答は全体の68%、「やさしい日本語」は76%でした。また、「通常の日本語」は22%、「機械翻訳された母語」は12%で[7]、「やさしい日本語」が求められていることが分かります。

しかし、「やさしい日本語」が日本人の側に十分に流通しているかといえば、そうではありません。日本における共生社会の実現に向けて、今後「やさしい日本語」の普及はより重要性を増していくでしょう。

ちなみに出入国管理庁と文化庁は、2020年に「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」を策定しています[8]。書き言葉が中心ですが、やさしい日本語の概要をつかむには十分です。

また、やさしい日本語の観点で文章をチェックするWebツールも開発されています。外国人材を雇用している企業では、ぜひ普段のコミュニケーションや社内文書作成などの参考にしてください。

LIGHTBOATで発信する教材も、平易な文法と振り仮名を用いた、「やさしい日本語」化を順次進めています。これからも、日本に住む外国人の方に寄り添う視点を忘れず、役に立つ情報を届けて参ります。

[1] 株式会社良品計画「数字で見る良品計画」,2021年8月公表,https://ryohin-keikaku.jp/corporate/about.html(閲覧日:2022年4月5日)
[2] 正式には「特定活動」の在留資格の一つ。在留期間は最長1年間で、「留学」の在留資格と異なり、就労時間の制限はない。
[3] 留学生は、資格外活動の許可を得れば1週間に28時間まで就労することができる。長期休暇期間は1日8時間まで。
[4] 日本人と結婚した外国人などが取得する在留資格。在学や就労していることが条件の他の在留資格と異なり、在学・就労をする必要はなく、自由に活動ができる。また、就労に当たっての就労時間や職種の制限もない。
[5] 無印良品「Café&Meal_MUJI 京都山科 店舗情報」, https://www.muji.com/jp/ja/shop/detail/045863(閲覧日:2022年6月6日)
[6] 日本の在留外国人は、2021年6月時点で282万3,565人。コロナ禍になる前の2019年末は、過去最高の293万3,173人。出入国在留管理庁「令和3年6月末現在における在留外国人数について」, 2021年10月15日公表,https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/13_00017.html(閲覧日:2022年5月13日)
出入国在留管理庁「令和元年末現在における在留外国人数について」,2020年3月27日公表,https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/nyuukokukanri04_00003.html(閲覧日:2022年5月13日)
[7] 旧東京都国際交流委員会(2021年4月1日より、一般財団法人東京都つながり創生財団が事業継承)「東京都在住外国人向け情報伝達に関するヒアリング調査報告書」,2018年3月実施,https://tabunka.tokyo-tsunagari.or.jp/info/2021/04/post-18.html(閲覧日:2022年5月13日)
[8] 出入国在留管理庁「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」,2020年8月28日公表,https://www.moj.go.jp/isa/support/portal/plainjapanese_guideline.html(閲覧日:2022年5月13日)